遺品整理体験談:愛と記憶を尊重する片付けの物語

52歳女、叔母の遺品整理を休みの日に行った

一人暮らしの叔母が、亡くなった時に初めて遺品整理を行いました。

私は結婚して、近くに住んでいたので叔母とはずっと交流がありました。

叔母は、叔父に先立たれて一人暮らしをしていました。

亡くなる直前は、病院に入院していたので、叔母が亡くなった後の家は叔母が生きていると同じで今にも叔母が現れそうな気がしました。

しかし、叔母が住んでいた家は借地に建てられたものでその土地を返さなければならず、期限があり干渉に浸っている暇もありませんでした。

子供がいなかったので、親族で遺品整理をすることになりましたが、叔母の写真などが出て来るたびに思い出話になってしまいなかなか進みませんでした。

しかも、家の中を空っぽにしなければいけないので親族が引き取らない物は捨てなければいけませんでした。

叔母の遺品を捨てなければいけないのは、心が痛み気がしましたがどうすることも出来ませんでした。

捨てる物は、自治体のルールにしたがって捨てれるようにしなければいけないので分解しなければいけない物も多くあり分解も苦労しました。

ちょうど季節が、夏の暑い時期ですでに電気が止められていたのでエアコンも付けることが出来ずその作業はかなり辛いものになりました。

叔母は、写真を多く保管しており親族もそんなに多くの写真は持って帰れないので写真もある程度処分するしかありませんでした。

しかし、写真を捨てるのは何だか他の物を捨てるより重たい気持ちになってしまいました。

今、思えばもう少し多くの写真を残しておいておけばよかったと後悔している部分もあります。

親族も私も、仕事が休みの日にしか遺品整理をすることが出来ないにも関わらず家を明け渡す期限がありゆっくり遺品を整理している時間がありませんでした。

気持ちもゆとりもなかったせいか、叔母の遺品は多くの物を捨てるしかありませんでした。

今思えば、もう少し気持ちにゆとりを持って遺品整理をしたかったと思います。

これから遺品整理をするという人は、後で後悔しないような遺品整理をして下さい。

41歳男、父との思い出の遺品整理でした!

私は自営業を営んでいる40代前半男性です。自営業とは言っても、親からの後継ぎと言うことで、これまでやってきました。

今では私も結婚もし子供にも恵まれ幸せにくらしていました。そんなある日、私の父が突然と倒れたのです。死因は心筋梗塞でした。以前から、父は良く夏場でも風邪を引くようになり体力が大夫低下していたのです。ですので、医者からも重々体には気を付けてくださいと言われていました。

通院はしつつ、時には入院なども繰り返ししていました。日頃から薬も飲みながら生活していたので少しは安心かなっとも思っていました。その為、私も母もそして、妻も必要以上に心配せずに仕事や生活をしていました。

ところが、やはり突然と父は逝ってしまったのです。そして、私達残った家族は葬儀を行い、みんなで手をあて供養をしたのです。無事、葬儀も終わり残った遺族で父の遺品整理を始めたのでした。父は元々、ゴルフが好きでいくつかゴルフセットや玉を置いたままでした。私は残念ながらゴルフはしないのですが、父の思い出と形見と思い、私はゴルフセットや玉を遺品として譲り受けたのです。

勿論、母は父との思い出の品を遺品として大切に保管するとのことでした。また、妻や私の子供たちにも父の残した遺品をいくつか貰っていました。そして、遺品整理も終わった頃私達は本当に父との別れを感じ、私達家族だけで食事をしました。

そこには父の遺影を飾りながら、みんなでひとつのテーブルに集まり食事をしたのです。少し、暗い気もしましたが、これが最初で最後の光景だと思い、みんなで特に会話は無かったのですが食事をしたのです。

そして、しばらくしてまた実家に家族で遊びに行った時には、母だけが一人寂しくいたのですが、そこにはしっかりと父の写真が飾られていました。

また、父が残した遺品をそっと母の机の上に置かれていたのでした。私はそれを見てまた涙がこぼれて来たのを今でも覚えています。

31歳女性 余命宣告された父、生前から家の片付けをしていきました。

父を亡くした時の話です。

私は父と弟の3人家族でした。母は子供の頃に離婚をしていたので今、連絡を取ったり会っているということもなく、全く関わりがありません。

5年前、父が癌だと診断されそこから闘病生活が始まりました。2年、3年と経っていくうちに症状がよくなることはなく、今年の春に亡くなりました。

半年前から覚悟はしていたので、インターネットで相続のことや今後どのようにしていけばよいかを調べていくうちに、「遺品の整理・家の片付けはしていった方がよい」とアドバイスが書かれてありました。

「亡くなってもいないのに・・・」とさみしい気持ちが9割。私より早く動いたのは弟でした。その弟の姿をみると「しなくては」と割り切ってできることから家の片付けを始めました。

私の家は一戸建てで、祖父母の時代に農業をしていたので納屋や倉庫、古い家など、敷地の中に建物が複数あり、捨てきれなかった昔の食器や着物、服、農機具などたくさんのもので溢れていました。まずは父の身辺より家の片付けを始めました。時間のあるときにしていたのですが、すごい量のものでした。

そうこうしているうちに父が亡くなってしまいました。遺族も慌ただしい日々がしばらく続き、数日で落ち着くということはありませんでした。そして、亡くなる前は予想もしていなかったのですが、なにかと家に来客があります。近所の人、自治会の人、お寺さんに葬儀会社の人など、亡くなってからしばらくは来客の対応にも追われます。庭の草刈り、木の剪定なども1ヶ月以内に済ませておきました。

気持ちはもちろん追いついていませんでした。しかしこの点では「家の片付けは早くからしていた方がいい」ということが身にしみて分りました。

父も長くは生きられないということを自身で分かっていたので、通帳や家の権利証や登記登録証、印鑑などの重要書類は一纏めにしてくれていたのでとても助かりました。

身辺が落ち着いたころ、家の片付けと合わせて父の遺品整理も始まりました。

父は本をたくさん読む人だったので、本の量が多かったです。捨てなければならないのですが、今までずっとあったものを捨てるというのはやはり大変なことなのだと痛感しました。

「残して置きたい」という気持ちと「片付けなければ」という気持ち。そして「捨ててしまう=父の存在が亡くなってしまう」という気持ちが交差していました。

父が亡くなる前から始めた家の片付けと遺品整理。最終的にかかった時間は3ヶ月ほどでした。

死は誰もに平等に訪れてその日が明日になるか1年、2年後になるかは分りません。私の父は余命宣告されていたので私を含め遺族の心の準備もできていました。葬儀の前後は慌ただしく、落ち着く間もないです。つらく、さみしい気持ちになりますが生前から「本人の部屋以外のもので、捨てることのできる家にあるもの」は捨てていき、家の片付けをしておく。そうすることによって、家のことは気にせず葬儀の時に父との最期の時間を過ごすことができました。

タイトルとURLをコピーしました