遺品整理体験談:愛と記憶を尊重する片付けの物語


人生の中で、大切な人々との繋がりは深く、その絆を感じる瞬間は尊いものです。しかし、時折、遺品整理の必要が訪れることがあります。故人との想い出を胸にしまい込んでいる遺品たちは、そのままにしておくことも、整理することも、心に葛藤をもたらす選択となることでしょう。

愛しい人の物を整理する作業は、同時にその人の人生と向き合う時間でもあります。遺品整理は、愛と尊敬を込めて、その人が残したものを大切に整理する手助けとも言えます。これは、ただの片付けではなく、共に過ごした日々や想い出を称える重要なプロセスなのです。

本記事では、実際の遺品整理体験談を通じて、愛と記憶をどのように尊重し、整理するかについて探ってみたいと思います。感動と思考を巡らせる物語を通じて、遺品整理の意味と価値について深く考えてみましょう。

32歳女 義母の遺品整理に駆り出され

義母が亡くなってから7年が経過したある日。長くそのままになっていた義母の箪笥や押入れの整理を旦那と義妹で行うことになりました。

義母は闘病生活を長く過ごしており、私が家に入ったときには余命幾ばくもない状態でした。しっかりと時間をかけてお会いできたのは20回あったかどうかという関係です。

義母が亡くなったとき義父は「自分では遺品は1つも捨てられない」と言っておりました。私も無理強いすることはないと長年見守ってましたが同居が決まり部屋の一掃のために子供世代が集まって整理する運びになりました。

物はすべて一部屋に集めていましたが、大きな桐箪笥が3つ、クローゼットが1つ、押入れにはひとまずと思ってまとめた段ボールが5.6箱ありました。

まず箪笥のほとんどを占めていた洋服を引っ張り出しました。

義父ならば「勿体ないから着ろ」と言いそうですが、肩パットのバッチリ入ったジャケットの数々は義妹と私にはちょっと…。ということでほぼ全て可燃ゴミに。

バーバリーなどのブランド品の綺麗なコートのみはオークションにかけるため分けて後日処分しました。一着2000円前後で売れました。

問題は書類や雑貨類です。

義母は思い出の品を大事に保管するタイプだったようで、旦那が小学校へ持って行っていた手製の体操袋に、子供用のスキー板、30年前に通っていた保育園の連絡帳まで綺麗な状態でした。

これが段ボール2箱分あり、残すべきか捨てるべきかとても迷いました。

旦那は義母と同じく思い出は何でも保管派、私と義妹はさっさと処分派。

結局各自のものに分けて判断は個々に任せることにしました。

すべて終わるころには可燃ゴミ袋12袋になりました。最期まで使っていた日用品や財布、衣類だけ少し残してあとはすべて捨ててしまいました。

遺品整理は部屋はスッキリしますが、時間が経っていても死者の物と向き合うのは精神的に力がいる作業な気がします。

この遺品整理をおこなった後、自分のものも今一度見直し、今必要なもの以外処分するようにしました。

特に衣類は一季節3枚くらいで着回して1、2年で総取り替えするサイクルを心がけています。

遺品整理に限らず亡くなった後の片付けは多くの人がテキパキできないものだと思うので、せめて自分に不幸があったときに家族が困らないようにしてあげたいなと思いました。

49歳女 母と遺品整理を進めました

40代女性です。父が亡くなって遺品整理を母と一緒にしました。悲しみに暮れているときの遺品整理は本当に辛いですよね・・・。父が着ていた服を見ると元気だった頃の父が浮かび涙が止りませんでした。私はあまり父と仲が良くなく父に遊んでもらった記憶もないのですが、その私でさえ父の遺品整理は辛かったのだから仲が良い父と子だったらどんなに悲しいか・・・。

私の父は愛人を作って、私が小さな頃に母と私妹と弟を残して家を出ました。別の街に住んでいた父ですが、私が荒れて手がつけられなくなると母は父に連絡してそんな時だけ家に戻ってきて私を叱る父。母はどういうつもりで愛人と住んでいる父を呼び出していたのか分かりません。思春期だった私は自分の家族が普通の状態じゃないことが腹立たしくて、母はもとより父の説教も素直に聞くことが出来ずますます荒れていったのです。

時には父に頬を叩かれることもありましたよ。怒鳴られることもしょっちゅう。恥ずかしいことをしているのはどっちだと父をはじめ大人の男性が大嫌いになりました。そういう状態が長く続き私も普通の人生は歩めなかったのだけど、父が大きな病気になりだんだんとやせ衰えていく様子を見ているうちに「昔のことは昔のこと」だと割り切れるようになっていったんですね・・・。こんな私でも父の気持ちが分かり父のことを許せるようになっていたのです。

だから父の遺品整理の時は泣きました。父は質の良い物しか着ない人でしたから何十年も前に着ていた服が良い状態で残っていて・・・。靴下ひとつでも思い出があることに自分でも驚きました。母は淡々と捨てるものと残すものとを分けていましたが、私はより分けることが出来ずしばらく母が捨てるといったものを捨てずに母に内緒で保管していました。

今私の手元には父が若い頃に着ていたスーツや作業着、それから時計があります。父が亡くなって5年、今は父が大切にしてきたものに囲まれて幸せです。

50歳男性 他人が見たらなんて事のない遺品だからこそ、価値がある。

私は50歳、男性で、広告デザインを生業としています。家族は妻と娘がいます。義父が亡くなった時、葬儀が終わり、1週間が経ち、感傷的になりながらも、いつもの日常が始まり、でも、いつもいる場所に居る人がいない違和感は暫く消えませんでした。

そんな中でも、亡くなった人の部屋をそのままにしておくわけには行きませんので、事務的な事と平行して、遺品整理をしなければなりません。小物は兄弟間での話し合いで、振分けていました。クーラーたテレビなどは、日常でも使う物なので、バランス良く、振分けていました。

ただ、振分けられない大切な物もありました。それは、義父が使っていた軽トラックでした。この軽トラックで、私の娘が小さな頃、義父が色んな場所に連れて行ってくれました。義父の行った先の写真には、この軽トラックがよく写っていました。テレビやエアコンは、ある意味、無機質なものなので、日常に紛れると思うのですが、車はある意味、アルバムと同じぐらいの思い出の遺品です。

ハンドルには、きっと故人の汗が染み付いていると思います。でも、処分しなければ、維持費が掛かってしまいます。兄弟で話し合い、売るにも、売れないので、処分と言う形で、手放す事になりました。

処分先にその軽トラックを置いた時、何か義父を置き去りにしている様な感情が出てきて辛かった事を思い出します。今、考えれば、どうせ処分するなら、ハンドルだけでも、取って、思い出の品として、取っておいても良かったのかなと、少し後悔をしています。遺品の数や大小は、それぞれだと思います。

ただ、本当に故人との思い出がある遺品に関しては、靴なら一足だけでもいいです。洋服なら一着だけでもいいです。処分しなければと言う前に、そういう考えを持ちながら、遺品整理をしてほしいと思っています。人から見たら、何て事のない遺品でも、一周忌や三回忌などで、集まった時、その何て事のない遺品から、故人の話が膨らんでいくと思います。

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