遺品整理体験談:愛と記憶を尊重する片付けの物語

29歳男 時を超える遺品・・・大切に保管しております

こんにちは。僕は29歳の男性です。職業としては現在、自営業(フリーランス)をしております。

この間に投稿させて頂きました記事の方に、自分の母親が天に召した事を書かせて頂きました。

母親に逝かれてしまい、悲しみに暮れてはおったのですが、「このままではいけない!そして、僕がこんなに悲しんでいたら母親は成仏できない!」と思うようになりました。

それで何とか自分を奮い立たせて、頑張っておりました。そして、何とか生活がいつものようにリズムを取り戻してきて余裕がきました。

「そういや母親の遺品整理をしなくちゃいけないな!」と思い、とある日曜日に母親の遺品整理を始めました。

母親はコスメが大好きな人だったので、コスメ類の整理やら処分。服の整理やら処分、ウイッグやら靴の整理やら処分等に追われておりました。

もちろんですが、押し入れの中等のものも整理して、処分をしておりました。

しかしここで、身に覚えのないものが出てきたのです。「昭和17年10月」で途切れている日記です。

しかも読んでいくと僕の母方のひい爺さんという事が、判明しました。気持ち悪いくらい僕に顔がそっくりです。

この日記の中に書いてある一文を紹介します。「日本はアメリカと事を構えてしまった。半年から1年で武力・若しくは講和によって戦争を終わらせる事ができなければ、故郷の広島を始め、日本の未来が見えない」という・・・文章です。

その日記を見たときに僕は、「ひい爺さん・・・もしかして日本の負けを分かっていたのか?」と思いました。

その日記の一番後ろの方に、ひい婆さんの写真が挟められておりました。

もう70年以上も前のものが出てくるのも凄いと思いましたし、時代は変われど人の心というものが変わらないものだと思いました。

母親の遺品と共に、ひい爺さんの遺品も大切に保管する事しました。

これは母親やらひい爺さんの事を忘れてはいけないと、思ったのもありますし、昭和という激動の時代を生きた日本人を忘れてはいけないと思ったからです。

後悔していることは、もう少し早くひい爺さんの遺品を見つけて、綺麗にして大切に保管するべきだと感じました。

全く罰当たりだと思いました。

最後になりますが、アドバイスとしては、遺品は故人が生きていたかけがえのない証拠だと思います。

その証拠を綺麗にして、大切に保管することは残された者の義務だと感じました。

確かに処分するべきものは処分するべきですが、保管できるものは極力保管して、故人を忘れてはいけないと思います。

そして、その遺品から故人の生きた時代を感じる事が出来る場合もあると思いますし、それが自分にとって勉強になる場合もあります。

みなさんも遺品は大切にしてください。

44歳、女、3年経っても残る父の物。

44歳、女性です。父、母、私、弟の4人家族、さらに弟には家族があり、同じ敷地内に2世帯ではなく別に家を建て、奥さんと長女と長男と暮らしています。

非常に賑やかな一家の大黒柱である私の父が、3年前、「心臓突然死」という病名で急逝しました。本当に突然の出来事でした。「行ってきます」と言って出かけた人が帰ってこない、突然の事に家族のみんなが動揺していました。

父を送るための儀式が一通り済んだ後、家には、当然ながら父のものが以前と変わらぬ所にありました。突然死でしたので、何をどうしてほしいとか、家族の誰も聞いていません。家族経営ではありましたし、数年前に私の弟に社長職を譲っていたので仕事の対面的な事は特に大変な事はありませんでしたが、それでも父が率先してしていた仕事もあり、弟はそれにかかりっきり、私と母とで父の遺品整理をしなければなりませんでした。

といっても、「これ、どうしようか?」というものといえば大量の文庫本や漫画本くらいでした。特にものを溜め込んだり、何か趣味に打ち込んだりしている人では無かったですし(家族が趣味、な人でした)、何より、闘病とは程遠い所にいたままの突然死でしたので、父の意思をくみ取れるようなものが何一つありませんでした。

そのうち、いつも通り「ただいま」と帰ってきそうな気がする…家族のみんながそのように思っていたので、そのままそこに遺されている父のものを「整理する」という事に違和感があり、なかなか手をつけられずにいました。一つ一つのものに父の思い出があり、また、在りし日の父の顔が浮かんで、それらのものを整理してしまう事で自分たちに何も残らないのではないか、という錯覚ともいえる気持ちが芽生えてしまったのです。

それでも、少しずつ、少しずつ、家からは父のものが無くなっています。家族の気持ちが少しずつ落ち着いてくるとともに、今を生きていかなければならないという事が肌感覚で分かってきたからだと思います。

そして、物理的に、弟の子供たちのものが増えてきて、いわば「使わないもの」となってしまった父の遺品を整理せざるを得なくなった、というのが実情でもあります。

その「物」が無くても、思い出は無くなりません。そして、思い出も、家族とはいえそれぞれ違うものや所に宿っています。気持ちが落ち着くまで無理する事はありません。思う存分、遺されたものとの時間を過ごしたら「ありがとう」を言って整理する…本当に、無理する事は無いんだな、と思いました。

60代主婦母の遺品整理は結局専門業者に頼み

もう10年前になります。私の母が92才で亡くなりました。年齢に不足はありません。人は皆いつか死を迎えるものですから。母が亡くなり葬儀他諸々の届出などが済んだ頃やっと母の遺品を整理する気になりました。

母は最期まで一人暮らしを貫いてました。私は母の家から車で10分ほどの所にいましたから何かあればすぐ駈け付ける事が出来ましたが、流石に最後3日間ほどは病院にいましたので心配する事なく母とゆっくり最期の別れは出来ました。

年寄の1人暮らしと言ったらまあ、よくもこれだけの荷物があるものだと感心するばかりです。何から手を付けていいか分からず取り敢えずは母の貴重品から手を付けていきました。遠方にいる姉が葬儀後一度帰りまた再度出て来てくれたので私と2人での整理です。

でも2人共母が遺産などを持っていない事は分かっていましたのでお金の事で姉ともめるという事などはなくそちらはすんなりと済みました。次は貴金属です。母は数点ですが少し高価なものを持っていました。

これは私も姉も知らなかったものです。母がいつ何処で買ったのかさえも分かりません。保証書なども見つかりません。私達に内緒で買っていたものなんですね。母が自分の年金を貯めて買ったものでしょう。

母の自由ですよね。後のアクセサリーなどはそう高くはないだろうと思える品です。2人で話し合いそれぞれ一点ずつを母の形見として貰い後はすべて質屋へ持って行き現金に換えて折版しようと決まりました。

早速2人で質屋へ行き売ってしまい姉と現金を分けました。気がつけばもう夕方になっています。この貴金属の整理だけで一日が終わってしまいました。これではいつ整理が終わるのか分からないので遺品整理屋をネットで調べ頼む事にしました。

姉がいる内に終わらせたかったので整理屋に無理にお願いしてその日の内に見積もりに来てもらい次の日に整理してもらう事にしました。急なお願いにも対応してもらい殆どの品物を持って行ってもらった某遺品整理屋さんには感謝しています。

その後の空き家は数年経って売る事が出来ました。遺品整理はとても大変なものだと改めて感じた事でした。

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