遺品整理体験談:愛と記憶を尊重する片付けの物語

32歳女・服を父に譲ったりした。

私は私の祖父が亡くなったときの遺品整理を親と一緒にしたことがあります。

私は祖父と一緒に住んでいたためにお葬式を終えた後の遺品整理は家族みんなで行いました。

私の祖父はなくなるまでにあっという間だったのですが遺品がたくさん残ってしまい色々と大変でした。

まず祖父の着なくなった服は父がまだ着られるのであれば父が来ました。

例えば背広とかです。

それから祖父が寝ていた寝室は洋服であふれていたりつかわなくなった時計などであふれていたためにそれらはすべて処分しました。

処分したといってもなかなか捨てられませんから、棺桶の中に入れたものもありました。

最終的にまだ捨てられないというものは形見として残っています。

その時の気持ちは辛い悲しい気持ちで一っ杯というか、家族みんなが悲しみで毎日を過ごしていて食事が喉を通らなかったのを覚えています。

後悔していることは特にないのですが、「あ、棺桶の中にこれを入れればよかった」という遺品があとから出てくることもありました。

ですので遺品整理というものはとても大変で辛いことだと思います。

見ている人にアドバイスするのであればある程度自分の力で生活が出来なくなってしまうようになったら覚悟を決めて整頓していくことが良いかと思いました。あとからだと体力や精神的にもあまり片付けしようという気持ちが早々すぐにはならないと思います。

まだ自分が片づけられるなという時に自分が動けるときに動いていた方があとあと良いかと思います。

私はこのことを祖父が亡くなってから身に染みて感じたので気力というものは自分の頭の中で変わるものなのだなという事をものすごく感じました。

これから遺品整理をするのであれば亡くなった後のことを考えていく必要があるかと思います。

私は、遺品整理をするたびに祖父のことを思い出して涙が止まりませんでした。

もうあんな気持ちになりたくないと思いましたし、辛かったことを覚えています。

55歳 男性 業者として家族と連絡を取りながら遺品整理をした

私は横浜市で、ハウスクリーニングと住宅のリフォーム業を行ってました。その関係で遺品整理の仕事も受注してました。2000年から2009年までの事です。警察や不動産業者を通しての依頼が多かったです。

初めは戸惑いました。何をどうすればいいのか全く手探り状態でした。とにかく、ご依頼主様である遺族の方からの要望を聞くことに専念しようとしました。しかし、私の率直な感想はあっけないんだなと言うことです。特にお願いする事はない。ただ、綺麗にして物件を不動産屋へ返してもらえればいい。

横浜という土地柄、地方に家族がいる方が多かったです。しかも、家族と疎遠な方が多かった。寂しい気持ちになりましたが、これが現実化と受け止めるしかなかったです。

ただ、私としては亡くなった方が亡くなるまで大切にしていたものをただのごみのように扱うのは嫌でした。

やはり、真摯に向き合いました。

例えば、本や雑誌の中身は読まないけれど何かが挟まっているかもしれないと丁寧に確認しました。

完全なるゴミ、写真や現金、使わないだろうけど形見となるようなものに分けました。ほとんどの方はゴミ以外の物は10㎏の段ボール箱1つ分程度でした。ご依頼主様が要らないと言っても送りました。

全てを見る訳ですから、亡くなった方の趣味なども見えてきます。経済新聞を切り抜きしてる方、赤鉛筆で記入された競馬新聞を綺麗に畳んでおいてある方、几帳面だっただろう方、掃除は苦手だったんだろうと思われる方、現金なども出てきます。小銭から一万円札まで色々と。

少しづつ貯金してたんだなとか。なにかあった時の為のお金だったんだろうな。想像が出来ます。

こんな形でも(本人とも家族とも縁がない)、やはり人とのお別れです。入室前作業終了後にはスタッフ全員で合掌しご冥福を祈りました。

殆どの場合、室内は3人で1日で終わります。

ゴミはトラックに積載し産廃業者へ搬入します。

その後は、改めて次の入居者へ貸せるようにリフォームします。

50代男性 父の遺品から個人情報が出て来て仰天

私は50歳代前半の男性です。昨年(2018年)、90歳近い高齢で父が亡くなりました。母が健在ということもあり、遺品というのは着ていた服、それにあまり広くない書斎に積まれている本、雑誌、書類などでした。

服は母が少しずつ処分しています。私が本好きということもあり、本その他の担当になりました。私は文系ですが、父は医者でした。医学関係の専門誌が昭和30年代後期のものからあって、父は「これは高く売れるぞ」と言っていました。前に私の本を引き取ってもらった良心的な古本屋さんがあるので、そちらに来ていただきました。

「今はこういう雑誌、みんなデータ化されているので、なかなか売れないんですよ」と古本屋さん。それでも「お父さんの遺品ですから、なんとか生かせるように努力しますね」と雑誌から本まで全部持って行ってくださいました。

1万5千円ほどいただきました。父はもう一桁多い金額を想像していたんじゃないかと思います。さてこうして本屋や雑誌は片付きました。

残ったのは書類やメモの類。父の若いころの写真や親戚が結婚したときの記念写真、大学の同級会のスナップ……そういうものは見ていても心が温まります。どうでもいい領収書なども取ってあって、しかしそんなものはまだいいのです。信じられなかったのは昭和40年代の患者さんのカルテの綴ったものがけっこう出てきたこと。「何を考えているんだ! こういうものを家に持って来たらだめだろう。

いや、持ってきてもいいけれど、あの世に行く前に自分でちゃんと処分をしておけよ!」書斎を片付けながら、私は思わず一人で大声を出しそうになりました。いや、あの世に文句をいいに行きたいくらいの気分になりました。まだ、個人情報の保護なんて意識はなかった時代だったのでしょうか。結局、そのカルテ類はまだ処分できていません。

シュレッダーを借りてくるのも大変だし、結局機密書類の処分を請け負っている業者さんに頼むしかないのかなと思っています。終活なんてことばが流行る昨今ですが、ほんとに身の回りはちゃんと片づけておかないと、後に残った遺族が大変なんだなと実感しました。

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