遺品整理体験談:愛と記憶を尊重する片付けの物語

50代女夥しい遺品整理を業者に依頼し無事完了しました

50代後半、女性、専業主婦です。20代の娘2人と定年退職前の夫との4人家族です。 はた目からはまったく、体調の異常は感じられなかった姑が、実は心臓疾患をかなり悪化させており、急に自宅で倒れていたことを、近所の方の通報で知らされました。

駆けつけてみると、仏間でうつぶせになり、冷たくなっていました。 警察や検死の医師によると、その日の朝に亡くなったとのことでした。1週間前にも会ったばかりで、元気に、うな重を頬張っていた姑の姿からは、思いもよらない結果となりました。

悲しむ暇もなく、あわてて通夜や葬儀の手配や身内や知人への報告でてんてこまいです。 親しくしていた近所の方々も続々と姑宅におとずれ、直に最期のあいさつがしたいというので、対応に追われているばかりでした。 そして、告別式も終わり、無人となった姑宅には、私たち夫婦とは長らく別居していたせいか、何がどこにあるのかさっぱりわかりません。

物を溜め込むタイプの人でしたので、どの部屋も、どの収納部もさまざまなモノであふれかえっています。 自分のことはあまり話さない人であったので、金銭や不動産などにかかわる重要書類がどこにあるのか 見当がつきませんでした。

大量の洋服や着物などが散乱するなかで、嫌らしい話ですが、まず銀行口座や実印・現金などを探さないといけません。 姑の嫁入り道具であった、桐たんすからまず、みつかりました。 姑は不動産を経営していましたから、それに関する口座もあるはずと、夫婦二人で、家じゅうをひっくりかえして、しらみつぶしに見ていきます。

すると座敷にしいてある絨毯の下からもみつかりました。 仏壇の奥から、出てきたものもあります。 きりがないため、あとは、引き出しに郵便物が山とあったので、金融機関から郵送されたものから割り出していきました。

残されたものは、大量の衣類や食器類や家電、家具、冠婚葬祭で贈られた品々、壺や掛け軸、日本人形、貴金属やバッグや化粧品etcです。 入れ歯や金歯などの身体装具品も数多くあります。市指定の大きなゴミ袋を持ち込み仕分けしながら片付けていくのですが、どうしてよいのか分からないものがあります。 アルバムです。

若いころから最近までの写真が貼られていたり、孫たちと撮った写真も簡単に挟まれていたりします。 捨てるには、故人の想いを考えると軽く扱うわけにはいかない気がして、保管することにしました。 そして、最期まで世話をしていた仏壇は我が家に引っ越しさせることにします。

専門の業者さんに依頼し、仏間に納めてもらいました。 残った自力で始末できないものは遺品整理業者に頼むことにします。大型家具や家電が多かったため、費用もかかりました。 人間というものは一度の人生でこんなに大量の品物を置いて逝ってしまうのかと思うと無常感があります。

50代 男性 遺品整理をして楽になりました

8年前の事です。 ガンを患っていた妻を無くし、彼女の遺品を整理することにしました。 その時は、全くと言って思考が止まっている状況で、深く物事が考えられずにいました。 まず、親類、兄弟に形見分けをした後、当然のごとく、たくさんの遺品が残りました。

彼女の持っていたもの、洋服等、見るだけで涙が出るし、辛い気持ちになりました。 いっそのこと、全てを整理しようと考えました。 まず、洋服、靴等を処分することにしました。 インターネットで買取業者に連絡し、訪問日時を決め、査定してもらうことにしました。

ほとんど来ていない洋服や、全く履いていない靴など、査定してもらいました。購入額は、おそらく何百万円相当。 ほとんどがヨーロッパのブランドものでした。 靴は、日本のブランドのものでした。 今考えると、もうちょっと、やりようがあったのではと思いますが、その時は、全てがどうでもよかったので、出た査定額、3000円で引き取ってもらいました。

どう考えても、安過ぎたと思います。先ほども記述しましたが、ほとんどが、ヨーロッパのブランドものなので、高額で購入しています。

今となっては、買取業者各社に査定してもらい、条件の良いところに買い取ってもらうなどした方がよかったと思います。 あとは、バッグや時計、アクセサリーです。 これは、komehyoなどの中古高級品取扱店に買い取ってもらうことにしました。

商品の写真を何枚か摂って、買取業者の買取サイトにエントリーしました。次の日だったと思いますが、電話連絡がきて、 査定額を伝えられます。あとは、店舗に実際のものを持ってきてもらい、本査定するので、金額が前後する必要があるということを言われました。

言われるがまま、持ち込みの日時を決め、店舗にバッグや時計、アクセサリーを査定してもらいました。30分ほどで、査定額が出ました。これもブランド品ばかりだったのですが、この買取業者は、そこそこの値段を出してもらいましたので、すぐに換金してもらうことにし、お金を受け取りました。 彼女の主だったものがなくなると、ものを見て涙することはなくなりましたが、写真を見るとどうしても涙が出てしまします。

しかし、写真は、今も大切に保管してあり、仏壇にも彼女の写真を飾っています。 物は、その時の2人の状態や楽しかったことなど、どうしても思い出してしまうので、精神的にキツイので私としては、遺品整理をしてよかったと思っています。

32歳女祖母の遺品整理から零れ出た祖母の思い出話し

私の家庭では、長年祖母の遺品整理ができていないと言うような形でありました。祖母は大変可愛そうな状況で5人の子宝に恵まれましたが、どの方も、独立されて当然ではあるのですが、全員が家を出て行かれる形になりました。

私の父としましては、3男で特に当たり障り無い形で、昔で言えば高校を卒業できただけでも御の字であった時代の昔の時代であったのですが、定時制の工業高校を卒業する形になりまして、民間の会社に就職する形で、父親としましては、母親に求婚する形でめでたくゴールインしたと言う状況でありました。

祖母としましては、5人の男兄弟を育て上げた家は、借家でありまして、実は祖母は家を出たいと言う状況でありました。そこで祖母の長男が、祖母を引き取ると言う形で、自分の家に招き入れるような形で、祖母を招いたのですが、その結果としましては、祖母からすれば散々な状況でありました。

金目の物を長男の嫁に全て奪われた挙げ句に、通帳のお金も祖母がJRAで職員として貯めたお金を全て持って行かれるような形でした。来た当初こそは、火垂るの墓のような形で、厚遇で毎日、お手製の手料理や、豪華な食事を与えられると言う形でありましたが、時間が経過するにつれて酷くて冷酷な状況に徐々に変化していくと言う形でありました。

祖母の長男夫妻が祖母に冷たく冷遇しだしてからは、祖母に命令口調で「トイレの中で一日過ごせ!」と言う厳しい口調で怒鳴りつけたりですとか、「このノロマ!!さっさとどっかいけ!」みたいな形で、言われたと、毎日そのような迫害があったと言う状況を逃れてきた私の実家で後日談として私の母親に告げるような形でありました。

そこから祖母がなくなり遺品整理として祖母の辛い話しを聞きながら、「お婆ちゃんウチに来れて良かったね」と言いながら、遺品整理をしてお婆ちゃんの思い出話しに花を咲かせることができました。悲しい話しだけではなく楽しい話しも展開できて良かったです。

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