遺品整理体験談:愛と記憶を尊重する片付けの物語

45歳男性父の仕事場整理で悪徳業者に騙されました。

45歳男性です。

私の父が亡くなったときのお話しをさせていただきます。

5年前の話になります。

その頃祖母、父と二人が同時期に脳梗塞で特別養護老人ホームに入って貰っていました。

ご自宅で介護されている方からすれば、その負担は無いと言っていい程だと思うのですが、母も身体が元々弱く、自分一人で成し遂げなくてはならず、プレッシャーはかなりかかっておりました。

夜勤をしておりまして、夜勤前、夜勤後に顔を出して洗濯物を替えたり、先生と今後の打ち合わせをしたり、父は話が出来ない程だったのですが、祖母はまだ軽度だったのでお相手をしたり…

母も身体が弱いので、少し寝て病院や整骨院に連れて行ったり、日々の買い物に付き合ったり…

そんな状況だったので、バツイチな私は再婚の機会も逃しました。

日々会社と病院やホームを回り、家事も手伝いもして疲れていましたが、何とかみんなが笑顔でいれたら、と頑張っておりました。

そんな毎日で、自分も疲れが慢性化し、先の事を考える余裕がありませんでした。

いや、最悪の事態の事は考えない様にしていたんですね。

亡くなった時の事を考えることから逃げていました。

父が好きだった力道山の写真をアレンジしたリハビリ用の五十音表を作ったり、ノートパソコンでYouTubeで力道山のプロレスの試合を見せたりして、気を紛らわして、逃げていました。

皆さん、遺品整理の業者やお葬式をどこでするかなどは、事前によく調べて決めておくことをお勧めします。

何も考えず、逃げてばかりいた大馬鹿者の私の場合、お葬式会場さえも決めておらず、父の亡骸を横にパニック状態で非常に焦りながら葬儀会社を探し始めました。

母も力無くベットの父の名前が書いた名札をなぞっていたり、精神状態が不安定な状態でした。

お葬式のお話は今回は趣旨に合わないので、割愛させていただきますね。

さて問題は父の仕事場です。

詳しい場所は伏せますが、市内に事務所を構えておりましたので、引き払わなければなりません。

前述した通り、お葬式の事も考えていなかった私ですので、ご想像通り非常に困り果てました。

ネットで調べても何を決め手にして良いのか分からず、どこも胡散臭い様な気がしてきます。

結局は自宅のポストに入ってあったチラシの業者さんに頼みました。

これも何かの縁ではないか、くらいの軽い気持ちで電話してしまいました。

父の訃報を、仲の良かった祖母に伝えるべきか、知ってしまったら祖母も気を落として体調を崩してしまわないか…

などお葬式が終わってからも、何かと問題は山積みな私は、信頼のおける業者かどうかも調べず、決めてしまいました。

又考える事から逃げてしまった事を後悔しております。

1週間程した頃、事務所の大家さんから電話がかかってきました。

「部屋の片付けはどうしますか?」

目の前が真っ暗になりました。

事の経緯を説明して、私からも勿論ですが、大家さんからもその業者に連絡をする運びとなりました。

しかし事すでに遅く、連絡はつきませんでした。

よく見ると領収書に収入印紙も貼っていません。

30万円騙されました。

怒りはおきませんでした。

悲しさだけが降り積もり、どんどんと重くなり、自分を責めました。

警察にも被害届を出しましたが、未だに解決のめどは立っておりません。

結局は大家さんの紹介の業者さんに頼み、さらに30万円程支払う羽目になりました。

遺品整理を業者さんに頼む時は、誰かの紹介が1番です。お勤めの会社の方や、ご友人、親戚、地域の方、恥を忍んで相談されることをお勧めします。

私の様な方は中々居ないと思いますが、辛い中でしょうが、事前事前の準備をして下さい。

これをご覧の方には、私の二の舞を踏んで欲しくはありません。

優しい気持ちで故人を見送りたいですからね。

では長々と失礼いたしました。

当時40歳 母親の遺品整理の辛さと感謝

こんにちは、自分の経験は母親です。

私は8年間ほど母親の介護をしておりました。仕事が終わるとほぼ毎日母親の家により、顔を見せます。

8年間もづづけていると日課になり、亡くなってもついつい寄ろうとしてしまいます。

病院で亡くなり、その後母が住んでいたマンションを片付けなくてはならないので、仕事終わりに、母親のいなくなった部屋を何日間か通いました。

家電は業者さんに査定してもらい、何千円か頂きました。洋服などはお金にならない。一番かたずけをしていて胸が絞めつけられるは写真でした。家族の写真、母の若い時の写真、自分を含めて子供と戯れる母の写真は40過ぎの私でも目頭が熱くなり、胸が絞めつけられるようでした。

少しづづ片付けながら、自分の場合は後悔がよぎります、こうすればよかった、ああすればよかった、もっと色々出来たような…

残念な気持ちが強かった。一人暮らしから病院へ、最後は夜中に病院で亡くなっていた。孤独だったよな、一緒に住めていれば、自分が情けなく、辛い。母親の被っていた帽子が自分にはなんか物悲しい。

だけど一つ一つビニール袋に入れて片付ける。こんなの着てたな、こんなの持ってたかな?淡々とやるしかない。

仕事中に何度も電話をよこして、自分は面倒でもう嫌になって、怒鳴ってしまったこと、申し訳ないことばかりが頭によぎる。今思えば、帰りによって愚痴をはいていたこともあった。面倒だと思いつつも本当は自分に必要な時間だったかもしれない大事な時間だったような気がします。そんなことがわかるのはそれから何年も後のこと。「仕事に負けるなあ」と小さな声で母親が、私に声をかけた言葉が今でも忘れられない。自分の愚痴を聞いてくれて励ましてくれたんです、自分が面倒を見ているつもりでしたが実は自分も見てもらっていたのではないか?年々それに気づく。片づけが終わった部屋は綺麗でした、何もない。

もうここへは来ることもない、軽く会釈して部屋を出た。 片づけが終わりホッとした気持ちと、寂しさと複雑な気持ちで、これからもう来る必要のない部屋のドアを閉めました。

37歳差女性、祖母の遺品整理をしました。

私には、大好きでたまらなかった祖母がいました。一緒には暮らしてはいませんでしたが、毎日のように電話をし、なにも予定のない日には、よく、遊びに行ったり、泊まりに行ったり、ご飯を食べに行ったり、旅行に行ったりして、本当に仲良く、楽しく過ごしていました。祖母は、孫が10人いたのですが、初孫である私のことを、一番可愛がってくれ、祖母の友達にも、私のことを、昔から、色々話してくれたり、合わせてくれたりして、祖母の愛を常に感じる毎日でした。

ある時、今日もいつものように、祖母のご飯を食べに行こう、と、美味しく楽しく食事をし、いつものようにたわいのない話もし、最後にこれまたいつものように、食後のお茶まで頂き、来週は美味しいものでも食べに行こう、と約束をして、別れました。

その二日後、祖母が天に召された、との連絡が入りました。私は絶対に信じられなかったし、信じたくもない気持ちでいっぱいでした。祖母の家に行くと、その日まで使っていた物だけが、生きているような気がしました。永遠の眠りについた祖母と、その周りの物を見ながら、なんとも言えない気持ちでいっぱいでした。葬儀など色々なことが、次々と終わって行きました。

数日後からは、祖母の遺品整理を始めました。母や叔母などと一緒に整理をしたのですが、やはり、生前祖母は、私と一番仲が良く、私にはすべてのことを語ってくれていたような人だったので、この遺品は、こうして欲しい、この遺品はあの人にあげて欲しい、など、私がすべて指導した形になりました。祖母が生前から、よく言っていたし、もしおばあちゃんがあの世に行ったら、これはあなたが持って行きなさいね、とかいう話を良くしていたからです。また、食器や衣類など、生活用品がたくさん出てきて、整理をするどころか、思い出話に花が咲いたり、涙でいっぱいになったりして、なかなか作業が進まないこともたくさんありましたが、遺品整理をする人が割とたくさんいたので、思った以上には、片付けも早く終わりました。

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