自分の葬儀道具を準備していた母|生前整理と遺品整理の境界

母が亡くなったとき、私たち家族は深い悲しみに包まれながらも、ある種の“安堵”も感じていました。

というのも、母は自分の葬儀に使う道具をすでに準備していたのです。

白装束一式、数珠、経文、位牌の素となる木札、さらには「これはお別れ会に使ってほしい」とメモ付きで保管されていたCD数枚──。

母の手によって丁寧に整えられた一式は、まるで「私のことは心配しなくていい」と語りかけているかのようでした。

生前整理とは“未来への思いやり”

生前整理という言葉には、「残される人への配慮」という側面があります。

高齢になった母が始めた整理は、物を減らすことではなく、家族が困らないように準備しておくことが目的だったようです。

特に宗教的な道具や葬儀関連の物品は、家族が急いで選ぶには重すぎる選択です。

母はそうした負担を少しでも減らそうと、自らの意思で準備をしていたのでしょう。

遺品整理とは“想いを受け取る行為”

一方で、遺品整理は故人が残した物に対して、私たちがどう向き合い、整理していくかというプロセスです。

母が生前に用意した物は、確かに“生前整理”の一部でしたが、それを受け取って片づけていく行為は、まさに“遺品整理”でした。

そこにあるのは、物を分類する作業ではなく、「母の人生や価値観を読み解く時間」だったのです。

生前整理と遺品整理、その“境界”にあるもの

では、両者の境界はどこにあるのでしょうか。

専門家の間でも明確な線引きは難しいとされますが、「誰が主体で動くか」が一つの基準になります。

  • 生前整理:本人が意思をもって行う準備
  • 遺品整理:残された人が気持ちの整理とともに行う片付け

母が準備していた物を前にしたとき、私はそれを“残された私のためのメッセージ”と受け取りました。

それはまさに、生前整理の終点であり、遺品整理の始点だったのです。

「準備しておく」という優しさ

母の準備には、派手さも押しつけもありませんでした。

むしろ「自分の人生の締めくくりを、自分の手で丁寧に整える」その姿勢に、強さと優しさを感じました。

そして、それを受け取った私たち家族は、感情を整理しながら母と対話する時間を持てました。

まとめ|“自分のため”と“残された人のため”をつなぐ整理

母が残してくれたのは、単なる葬儀道具ではありませんでした。

それは、思いやりと責任、そして自分の人生への誇りでした。

生前整理と遺品整理の境界には、愛情と記憶を引き継ぐための静かなバトンがあります。

もしあなたが今、何かを準備しようとしているのなら──それは、あなた自身だけでなく、未来の誰かをも助ける行為になるかもしれません。


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